ひさしぶりにアニメの話などをしてみる
- 「反逆のルルーシェ」をぼけぼけっと見つつ「ひだまりスケッチ」をぼけぼけっと見ながら午前中を終わるでした。
- いやでも、「ルルーシェ」はSEEDのパクりと揶揄されつつもやっぱり面白い! ウィキぺディアを参照してくれればよいけれど、緻密な設定と物語の動かし方、すべてにおいてここまで高度な作品はひさしぶりじゃないでしょうか。でもまぁ、よくできてるから、よくできてるからこそのハプニング性というか、ドキドキ感がないのは確かですね。ええ。
- そのドキドキ感がもっとめちゃくちゃにある作品ってあるんですかねー。
- と思ったらなんかあれですって? BSで放送されている。「少女コゼット」とかいう作品がめっちゃめちゃいま熱いらしいじゃないっすか?
少女コレット
- 原作は「レ・ミゼラブル」。詩人で画家でもあったヴィクトル・ユゴ−の代表作ですね。戯曲やドラマには数え切れないほどなっているし、日本でも大正時代に黒岩涙香によって翻訳された傑作です。僕も高校時代によんだけど、レベルの高い物語性と同時代性でとてもおもしろい作品だと思ったなぁ。まぁ、新潮文庫だと三巻〜四巻が一番おもしろいんだけど、そこってちょうどナポレオンやフランス革命の動きを非常に躍動的な筆致でかいてて、すごいんだよね。
- で、今回はその少女コレットという女の子の運命に視点を定めた、いわゆる「悲劇のヒロイン」ものになってるわけですが、ちょっと誰かのブログで前に話題になっていたとおり*1、この女の子があまりにも「萌え」路線をぶっとばしすぎの造詣筆致になっているわけです。しかもなんですか。あの、この子が悲劇の運命をたどるんですか、たどるんですね? たどっちゃうんですね。これからあーんなこととかこーーんなことが平然とおこることになるわけじゃないですか。おこるんですね。おこっちゃうんですね。うわああ。って気持ちになるわけで。
- でもそういう悲劇のヒロインてのはいままでもたくさんいたんですね。死ぬほどたくさんいたと思うんですよ。でもそういうヒロインさんはいままで「明るく元気で逆境にまけない」っていうのが多かった、あるいはそういう女の子のフォローをもらうことによって逆境でもがんばれるっていうリーダーシップというか英雄的というか、そういう子の存在が大きかったというか、つまり北風プラス太陽という構図があったと思うけど、今回は萌えッ子一人だけで運命と戦う話になってるっぽいんですね。あー、これはまじ新解釈だわ。
- でもそういうのって今軽めの流行なのかもしれない「RED GARDEN」とかもそういうミステリーになってる。本当は死んでいる女の子たちが犬と戦うものがたり、なんだけどその裏っかわには友情の亀裂ってテーマが潜んでる。でもそこには結局女の子のバリエーションってのがあるから「RED GARDEN」も女の子たちの話になってるんだよね。
- ああ、BIGLOBEで放映中ですよ。
- さて、レポート書こうと。
ひだまりスケッチ
- でまぁそんな気がめいる作品ばかり見てるのは損ですよ。
- だからここでひだまりスケッチ。ひだまりスケッチは俺んなかでこの腐った世界に顕現されたユートピア文学だってちょっと思ってる節があるんだよね。『サブカル評論』って同人誌でも誰かいってたけど「げんしけん」てようするにアンチが存在しないユートピアじゃないですか。で、ひだまりもそうだよねー、ってはなし。でもでもさ。なんか知らないけど、美術科って激しい競争があるわけじゃないですか。一目見て感じる圧倒的な才能と儀式、能力と技能の差異をめぐる世界最高の戦闘地平。俺たちはそれをみて嫉妬に狂い失望になき、己の無力さを感じる(予定)の美術科のやつらじゃないですか。そんな残酷な、ざああんこくなぁ世界じゃないですか*2で、まぁ、俺はそれをひだまりスケッチに見てる。
- だからひだまりスケッチってなんか、なんか、なんかいいなーって思うんですよ。女の子四人でたのしいような、うれしいようなそんな空気の中でみんなで創作したり、お話したり、浴衣着て遊んだり、するんでしょ、しちゃうんんでしょ!? これっていまないですよ。いや、ないと思われる。花火を見れる境内って本当にあるんでしょうかどうなのかもしらない。でも、そういうのを楽しみに毎日ちょっとずつ楽しんだりしてる作品をみてると、もう欝になる作品とかを読んでるときより何百倍もむねきゅーんになれるわけですよ。そういうのっていいなって思うんですよ。