空想の中の戦争〜〜スパロボの世界を通して〜〜

  • はじめに。

 この勉強会の目的を簡単に説明しておきたい。
スーパーロボット大戦』を読み込むことで、もっかい「戦争」を考えてみたい。ある意味では夏合宿時に行った梅田勉強会の続編という位置づけにもなるだろう。
 今回の大きなテーマは『スパロボ』を通して「いままでになく、これからもない戦争」をどう評価するかである。
 同時に、ひとつの現代的な作品としての『スーパーロボット大戦』のアクチュアリティを評価してみたいと思う。
 『スパロボ』は、裏返してみれば「戦後世代の人間が作り戦後世代に語りなおす戦争」という側面がある。総合プロデューサーの寺田貴信氏は1961年生まれであるし。コンシューマーゲームという新しいメディアで発達した『スパロボ』は絶好の素材となるだろう。
 『スパロボ』をとりあげるのは、個人的な動機というものもある。『スパロボ』ファンであることもそうだが、もう一つ。現在では、文学や歴史が扱う資料範疇が急拡大している。その背景についてはあれこれ述べる時間はないが、従来無条件に価値があるとされていた様々な既存作品に疑問が生じ「虚空」の意義と実用性をめぐるさまざまな議論が噴出してきている。「文学」の、特に研究に片足だけとはいえ携わる物として、自分にはさまざまな文化現象に切り込む芸が必要だと認識している。そのテストとしても『スパロボ』勉強会は有意義なものとなるだろう。
 ただ資料不足と量的な問題によって作品ごとに視点をあわせる各論的なアプローチはとれなかった。話がやや具体性を欠いてしまうのが無念ではあるが諒とされたい。
 また、『スパロボ』を作品として楽しむ視点もあわせて提供できたらよいと思う。

 ただし、重要性は無視できないものの、さまざまな關係から無視するしかない補助要因は先にあげておきたい。
 二点あり、ひとつはサブカルの他のテクストとの問題(ファンタジーや学園物などとの關係)
 もうひとつは商業上の諸問題。作品ごとのメディア展開の状況や、著作権の問題などである。
 作品も多く、そのすべてに厳密な区分を設けて解説することは不可能である。スパロボと作品全体を取り扱い、必要に応じて出典を示す形にしたい。

 スパロボとは、バンプレストが作る家庭用ゲームである。
 という身もふたもない説明はあとでするとして、とりあえず吉田さんの話とからめてこんな話からはじめたい。
 スーパーロボット大戦(super robot warsあるいはSUPER GREAT WAR)の「大戦」という響きは六十年以上前の戦争を想起させる。第一次、第二次の「大戦」の響きを聞いてしまうのは私だけだろうか。初代『提督の決断』における言葉と映像の選び方の不用意さは『日本人の戦争観』でもとりあげられるほどに日本人が戦争をド忘れしている現状をあらわしている。スパロボの「大戦」も同様であろう。
 そこまで考える必要はないが「スーパーロボット大戦」の「大戦」にはもうひとつ、大規模な戦争という表面上の意味がある。大規模とはどのような意味かは迹で後述するが、こちらの意味はたぶん重要だ。
 しかし、『スパロボ』が「大戦」たることをポジティブに捕らえることもできるだろう。戦争の語りに新たなバリエーションを持たせることができるかもしれない。それについては後述しよう。

まず、スーパーロボット大戦の基礎的な知識とゲームシステムを説明する。
以下の引用に注目。

スーパーロボット大戦とは
数多のアニメロボットが一同に会し、地球と人類を脅かす敵と戦うシュミレーションRPG
それが『スーパーロボット大戦』である。

昭和40年代、テレビの普及率上昇とともに番組の種類もドラマ・バラエティ・スポーツと徐々に増えていった。
そんなコンテンツの拡充が進む中、子供たちを夢中にさせたのが、ロボットアニメだ。
現実を遥かに超える超科学によって生み出され、人類の平和のために戦い続けるロボットたち。日本中の子供に感情の昂りを覚えさせてきた憧れの存在である。
それらの代表格が「マジンガーZ」「起動戦士ガンダム」などである。

(中略)アニメのロボットが作品の垣根を越え、手を取り合って共通の敵と戦う。ロボットアニメに触れたことのある者なら、誰しも一度は夢見る世界。
スーパーロボット大戦』とは、それを実現させたゲームなのである。

スーパーロボット大戦』の誕生は1991年。ゲームボーイ用ソフトとして市場に送り出されたのが、第一作目となる。
その後、ファミコンスーパーファミコンなどあらゆる家庭用ゲーム機でシリーズを重ね、多くのユーザーを魅了し、その歴史を刻んできた。

「アドベンチャーパート」・・・登場人物たちの会話によって物語が進むパート
「インターミッションパート」・・・ロボットの改造・強化を行うパート
「シュミレーションパート」・・実際に先頭を行うパート

世界観や時代設定がまったく異なる、複数のロボットアニメ。これらをひとつの世界に挿入し、1本の物語を形成する。そのため、ともすれば矛盾が生じてしまう危險性が潜んでいる。それを調整し、長編ドラマとして作品を成立させる。「アドベンチャーパート」では、この妙を味わうことができる。

複数作品の融合において”ロボット”の強さもバランスが求められる点である。誰しも、思い入れのあるロボットには強くいてほしいと願う。それを「インターミッション」で可能にしている。

そして、ロボットの醍醐味である必殺技。(中略)それをテレビさながらのアニメーションで忠実に再現。戦うロボットの美しさを「シュミレーションパート」の戦闘シーンで堪能することができる。また、各キャラクタの能力を一時的に高める”精神コマンド”を搭載。これにより”力を込めて撃つ”驚異的な反応で避ける”といった、アニメーションを髣髴とさせる演出が付加されているのである。

 (中略)ロボットによるアニメのクロスオーバー。
 それが『スーパーロボット大戦』である。

*1

 以上の記述は公式サイトに乗せられた文章であり、製作サイドがスーパーロボット大戦をどのようなコンセプトのものと受け止めているかを端的に示しているといえるだろう。勉強会で取り上げるトピックをまとめてみると以下のとおり。

    • ロボットアニメと呼ばれる作品群のメディアミックス型コンシューマーゲーム
    • 昭和四十年代のメディアのバラエティが増えてきた頃にあった、子供たちの夢を実現させたもの。
    • 敵とは、作品ごとに異なる背景をもつロボットたちが協力して倒すべきものである。
    • ゲーム上のさまざまな演出はアニメーションを想起させる形で行われている。

 ただ、一ファンとしても勉強会の主催者としても上述の言葉にはいささか問題があるように思われる。
 まず、スパロボが昭和四十年代の夢を踏襲しているという点。これはもはや、四十年代のテレビをみていない世代や四十年代のアニメに反発、乗り越える形で登場した平成の作品をも登場させており、さらに、アニメ化されていないゲーム作品(電脳戦記バーチャロン)、深夜枠で放送されていた作品(ラーゼフォン)が登場するなど「子供たちの夢」である「ロボットアニメのリアリティ」に寄りかかる形でゲームの『スパロボ』が構想されているというのは一部苦しい説明になりつつある。
 また、「アニメの夢」であったはずの『スパロボ』がそれ自体で自立した魅力をもつようになったこともあげられるだろう。オリジナルの機体(バンプレストが勝手につくった作品)やそれにまつわるストーリーの蓄積は膨大なものとなり、それ自体がひとつの魅力ともなっている。オリジナル機体のみが参加する『original generation』というシリーズまで作られるほどだ。
 アニメーションの美麗さについては多分原作を超えている。もちろん誉めています。
 また、アニメーション的なリアリティの追求は「精神コマンド」もそうだが「気力システム」というものも関係するだろう。気力システムについては割愛することを先に述べておく。

 では次に参加作品を列挙してみよう。
 割と近い時期にリリースされた二作品について。

スーパーロボット大戦MX
機動戦士Ζガンダム機動戦士ガンダムΖΖ機動戦士ガンダム 逆襲のシャア機動武闘伝GガンダムマジンガーZグレートマジンガーUFOロボ グレンダイザーゲッターロボゲッターロボG、劇場版マジンガーシリーズ、闘将ダイモス勇者ライディーン新世紀エヴァンゲリオンTHE END OF EVANGELIONマシンロボ・クロノスの大逆襲、機動戦艦ナデシコ機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-、機甲戦記ドラグナーGEAR戦士電童冥王計画ゼオライマーラーゼフォンバンプレストオリジナル)

第3次スーパーロボット大戦α‐終焉の銀河へ‐
機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY機動戦士Ζガンダム機動戦士ガンダムΖΖ機動戦士ガンダム 逆襲のシャア新機動戦記ガンダムW Endless Waltz機動戦士ガンダムSEEDマジンガーZグレートマジンガーゲッターロボゲッターロボG、真・ゲッターロボ(原作漫画版)、超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますかマクロスプラスマクロス7超電磁ロボ コン・バトラーV、超電磁マシーンボルテスV闘将ダイモス電脳戦機バーチャロン マーズ電脳戦機バーチャロン オラトリオタングラム勇者ライディーン無敵鋼人ダイターン3戦国魔神ゴーショーグン超獣機神ダンクーガ大空魔竜ガイキング新世紀エヴァンゲリオンTHE END OF EVANGELIONトップをねらえ!伝説巨神イデオン鋼鉄ジーグ勇者王ガオガイガー勇者王ガオガイガーFINALバンプレストオリジナル) (ウィキペディア)による<<*2
 作品の参加基準であるが、実はよくわからない。その昔ゲームケースに入っていたアンケート用の葉書には「好きな作品」という立項があったが、いまでは消えてしまっていて、「プレイヤー側の要望」が第一義的に反映されるわけではないと思われる。また、作品ごとに一回のみの参加やほぼレギュラー化されることもあるなど、参戦作品をめぐる基準は相当混乱しており、紅白歌合戦の登場歌手並に不明瞭である。
 しかし、一応ロボット物ということで、ロボットが登場することが基準の第一水準になるかもしれない。だが、ロボットの基準はどこまでもあいまいであり、作品によっては生身で登場する場合もある(Gガンダム)。
 私個人としては、作品内容に参戦基準を設定されているとは考えず、ただゲームシステム上の問題からどのような形であれ「テーマソング」があることをスパロボ参戦の条件としてみたい。

  • スパロボをどう読むか? なにが読めるか。

 「これでもくらいやがれ! ファイヤーブラスターーー!!」
 マジンカイザー。必殺技を叫んだだけなのに背中がぞくぞくしますね。

 なんというか、取り扱い説明書からして「熱い」ということをいってみる。

注意、ゲーム中のロボットやキャラクターのメッセージに一部乱暴な表現がありますが、原作に沿って表現しているためですので、ご了承ください。
『取扱説明書』前書き。

 『スパロボ』の世界はどのように多数の作品をクロスオーバーさせる設定をつくっているのか。というより地球がどれだけヤバいのか。以下の資料から簡単にみることができるだろう。

ストーリー

宇宙暦と呼ばれる時代に入り、70年以上が過ぎた頃……人類の命運を大きく揺るがす事件が立て続けに発生した。

突如、異世界から東京上空に現れた「MU」に対し、地球連邦軍は攻撃を開始。全面戦争に陥るかと思われたが、MUは東京湾を中心とした地域に正体不明の球状空間を形成し、その中に閉じこもった。

その直後、南極に巨大な隕石が落下。後に「セカンドインパクト」と呼ばれる災厄で人類は大きな被害を被り、地球圏は混乱の時代を迎えた。

そして、「一年戦争」、「蜥蜴戦争」という大戦を乗り越え、ようやく地球圏は平穏なときを迎えるかと思われたが、「グリプス戦争」と「デビルガンダム事件」がほぼ同時に発生、さらにそこへ地球圏への移住を目的とするバーム星人が「侵略戦争」を仕掛けてきた。

一方、地上では「ミケーネ帝国」、「妖魔帝国」、「恐竜帝国」が侵攻を開始。地球圏は未曾有の危機に見舞われたが、連邦軍エゥーゴスーパーロボットナデシコB、新シャッフル同盟らの活躍により、各敵勢力の撃退に成功。バーム星人との和平を成立させ、グリプス戦役末期から活動を開始した「ネオ・ジオン軍」を打ち倒した。

しかし、それでも戦いの火は消え去りはしなかった。

月のギガノス帝国の宣戦布告、「使徒」と呼ばれる謎の敵の襲来、出没を繰り返す未確認飛行物体、ヒサゴプランに見え隠れする影…………人類は今、終末に向けて、その一歩を踏み出そうとしていた……。

スーパーロボット大戦MX』バンプレスト

災害

敵(宇宙)

敵(地上)

    • ミケーネ帝国、妖魔帝国、恐竜帝国、使徒

 このあたりはあまり熱くないので、さらっと。
 スーパーロボット大戦のプロットレベルでみたばあい、大規模な戦闘とストーリーを支える組織やバックグラウンドのゲーム内での説明は十分であるとは言い切れない。『スパロボ』はどのような戦争形態をとっているかを考察してみるのは無駄ではないだろう。
 ここで、はじめに「大規模な戦争」と語ったことも關係してくる。スパロボがバックグラウンドとする戦争形態は「戦場」と非戦場が戴然と分離されている前線のある非総力戦のようであるが、実際には都市部での戦闘、原子炉、発電所などのライフラインを戦場するシーンも数多くある。実際には「市民」に非常な負担がかかっているはずで、しかし市民レベルから戦争にたいする反発や違和の表明は行われていない。
 他にいくつかの事実が指摘できるが、スパロボの背景にあるのは市民に負担をしいる総力戦体制と、思想統制に近いレベルでの連邦軍への信頼があるのだろう。さらに膨大な物資の運搬や、特機にしかつかわれないような部品の補給、また兵装流通に関係するさまざまな要素を考えてみるに、物質調達の体制にも近いものがあるのような気がする。

  • 4、リアルとスーパー。

チーフ「了解した。核を使用する連中を超特別指導する」
 第三次α。
 スパロボを知る上で理解しておくと便利で重要な区分に「スーパー」と「リアル」という作品区分がある。ただ、これは攻略本、主人公機の選択、シナリオ分岐などで盛んに使われている区分でありながら、具体的にどこで割ればよいのかよくわからない。
 その違いを、私の主観でつらつらとあげてみるとこんな風になる。雰囲気だけ飲み込んでもらえたら十分である。

スーパー。特機ともいわれる。全世界に一機もしくは数機で、選ばれた人物が乗る。支える組織は身内で運営されていたり、秘密組織だったりいろいろと不合理な場合がおおい。ほぼ人型。合体や変形によって人形になるものもある。一人乗りから五人乗りまで多様。量産はされない。なぞのエネルギーで動いたりする。でも修理は可能。補給も可能。兵装は多く、ミサイル、ドリル、ビーム、肉弾戦、剣など、特にドリルにこだわりがあるらしい。どうやったら入るのか、内臓武器が非常に多い。使用用途がいまいち不明な武器も多く、また弾数無制限な場合もある。大火力、硬装甲が多い。敵は異性人か意思疎通不能なケースが多い。しかし一対一でての戦いが基本である。一体で数百の敵を相手にするケースもある。えてして設定が粗雑で、勧善懲悪というストーリー展開が多い。原作は一話完結であることが多い。止めをさすとき必殺技の名前を叫ぶ。なんか熱い。
マジンガーZ」「ザンボット」「ダイターン3」などなど

リアル。「機動戦士ガンダム」を母とする作品群(あるいは『海のトリトン』を起源とするされるがこの辺りの議論は割愛)。運用されるロボットはほぼ生産され、生産過程をささえるさまざまな組織、体制をバックボーンにもつ。異星人の襲来といった人類がみんなまとまるケースをとらず、種族、階級間などから内部的に発生する人類輭の軋轢を描くことがおおい。戦争物が多く、防衛戦争という形をとらないものもある。ロボットは紙装甲、高回避。多くは細身。世界観に適した設計思想をもち、なんらかのコンセプトが機体製作に反映されている。当該の世界観からすれば科学的に理解可能なものがおおい。必殺技をいちいちさけばず、戦闘は流動的に行われる。兵器は内臓されているものが少なく、銃や剣など、手にもつ形のものが多い。たいていは生産される。えてして統率された高度な世界観やバックボーンをもち、ナイーブな主人公が設定されることがある。こうした作品群によってもたらされる感情は、熱い、というより、悲しみであったりむなしさであったりするかもしれない。遠距離兵器がやたらと多いが、近接兵器で勝負をかけることも多い。原作は大河ドラマ的な長大なプロットに支えられた十数話完結型のものがおおい。
 「ガンダム」「ナデシコ」「ドラグナー」などなど

 こうした設定の違いは、どういう基準からかはあいかわらず不明瞭であるものの、スパロボにおいて、登場機体にジェンダーのような差異をもたらしている。

  • 5敵と世界観

 世界観もスーパーロボット大戦ごと、しいては参加作品ごとにさまざまに変化するが、参加作品の最小公倍数と最大公約数の間で、ある程度通底した世界観がある。
 まず重要なのは、全ての作品に「敵」がいることであり、その「敵」がすべての味方にとって共通の敵であるということだ。「敵」の数や質は参加作品の中身よりも、ゲームのストーリー上の都合によることが多い。
 それらの「敵」とは最終的に全滅させるにせよ和解するにせよ、必ず防衛戦争という形をとることはあらためて注意してもよいだろう。(しかし常に過剰防衛である)。
 『スパロボ』における「敵」との戦争は「生存権獲得」が目標の「防衛戦争」という形をとっている。
 防衛戦争における「生存権獲得」という目標は、攻めて来る敵に対して正当防衛の理由付けを与えてくれる。相手が行う戦争は「侵略戦争」であり、侵略戦争に対する防衛反応は正当なものであるとプレイヤーは思うだろう。
 しかし、「バーム星人編」(闘将ダイモス)のように和解の可能性もないではない。そうした和解の可能性を開いてくれる理由はいくつもあるが(原作にもよるが)、『スパロボ』全体を通して見る場合、最大の要因はおそらく言語である。
 言葉が通じるか否かが「敵」の想定にもっとも重要なものである。
 その最たるものが「本能によってすべてを破壊する」「宇宙怪獣」の存在だ。第三次αでは全銀河5000億の宇宙怪獣との最終決戦が物語の山場になり、「宇宙怪獣」は「全生命の敵」とされている。

 「言語」(コミュニケーション)が「敵」と通じるかの問題をとりあげ、当初完全に「敵」でしかなかった存在が「同じ人」であった事実に主人公たちが煩悶するプロットをもつ作品がある。『機動戦艦ナデシコ』である。『ナデシコ』は「言語」(を中心とするコミュニケーション)が敵の性格を決めてしまう物語構造が、どのような意味をもつのかを現代的なコミュニケーションの問題の中に引き受けた作品だといえる。
 『ナデシコ』は「マジンガー」や「機動戦士ガンダム」から離れて「エヴァンゲリオン」とは異なった路をあゆむなかで、ロボット物の新しい地平を開いた作品であると、私は評価している。これについてはスパロボ勉強会の範囲を超えるので記述しない。

 とまれ、世界観において「防衛戦争」を名乗る以上、防衛側は防衛する体制があることにしなければならない。地球防衛の任をもつのは「軍」になる。「軍隊」という統一組織を「スーパー」系作品の多くは持ち合わせておらず、『スーパーロボット大戦』はそういう組織を構想しないとならなかった。
 自然、そうした組織の構成や戦争の形態は、ほぼ「リアル」系のものからとってくることになる。とくに世界観を構成する上で重要な軍事的組織構成をもっているのは「ガンダムシリーズ」であり、特に「戦艦を中心として複数のロボットが集まり、世界各地を転戦する」という物語構成をもつ「ロンド・ベル隊」(機動戦士ガンダム〜〜ガンダムZ)がそのモデルケースとなっている。
 また、悩みながらも成長する若者を数多く抱え込む環境(情緒不安定なだけかも)と彼らの思いと成長を見届ける艦長(ブライト・ノア)がいるこの部隊構成は、物語構成上さまざまに便利であったのだが、参加作品の増加、『エヴァ』のシンジ君や『ガンダムW』のヒイロや『SEED』のキラなど、いろんな意味で不安定な若者ばかり増えるにつれて大人役がブライト艦長だけでは足りなくなった。
 結果他の戦艦も多数『ロンド・ベル隊』に参加することになり、部隊の肥大化が進んだ。なお、『第三次α』では「ロンド・ベル」改め「αナンバーズ」の戦力は連邦軍全兵力の30%とまでいわれている。

 世界観や設定、物語構成においてはほとんど「リアル」系のものが採用されており、「スーパー」系の作品はそれに吸収される形で存続している。また、ここで忘れてはならないのはオリジナル機の存在だ。
 バンプレストが勝手に作って勝手に参加させているスパロボオリジナル機は『スパロボ』作品ごとに異なり(共通するものも多いが)、自前の設定、世界観、敵などを持っている。特に重要なのは「敵」の存在で、最終ステージで戦う「ラスボス」は必ずオリジナル機の敵ということになっている。理由としては、特定作品の敵を最後に据えるのは、他の作品に申し訳がないから。としておこう。ようするに詳しい理由は不明である。

  • 6.物語構造

コウ「キラ、アスラン! 運用方法はオーキスと同じだ! 突っ込んで、パワーで押し切れ!」第三次α。
 論者はこれを聞いて「同じなんだ」と思いました。



 また、物語構造についても簡単に触れておこう。ネタバレになるので抽象的な話になるが、「リアル」と「スーパー」という区分よりも「お約束」を重複的に組み合わせることで効果を挙げている。具体的には「父親が死ぬ」「友が自機をかばって死ぬ」「ピンチになるとどっからか強化パーツが飛んでくる」「一人がキレると周りも一緒にキレる」「親玉が現れるとなすすべもなくやられる」「都市防衛戦などでは途中で援軍がくる」「大切なものを見つけたとき必殺技が覚醒する」「得たいの知れない修行」「行方不明になった戦友が帰ってくる」などのお約束を重複、連続連鎖的にシナリオに織り込んでいる。

IM。このへんで休憩。用語解説。
 「墜ちろおお!」 ボールより弱い。「死ねよやー!」 冨野節、大河原マシン、カトキマシン、山根ワールド、合体、変形、殴り合いで深まる友情、メタ作品、ニュータイプナチュラル、コーディネイター、重症スパロボファン、熱血専用、クスハ特製ドリンク、

  • 7.ゲームシステム。

 「俺のこの手が光って唸るぅ!お前を倒せと輝き叫ぶ!必殺シャイニングフィンガー!!」
 Gガンダム。意外と異同が多い。

 スパロボのゲームシステム、特に「シュミレーション・パート」について説明する。
 まず絶対的なルールが存在する。それは「ずるはできない」というものだ。(外部のツールを使えば可能かもしれないが、そうした問題はここではとりあげない)それはゲームというメディアは、ルールの遵守とロジックの機動によって動くものであり、そのルールがプレイヤーとゲームとの双方向性を担保しているからだ。
 では、スパロボのルールとはなにか。以下の記述を見てもらいたい。

このゲームはプレイヤーとコンピューターが交互に持ち駒(ユニット)を動かして戦う戦術タイプのシミュレーションRPGです。マップ毎に異なる勝利条件をクリアすることで次のマップに進みます。物語はマルチストーリーになっており、プレイヤーの選択によっていくつもの展開を楽しむことができます。
様々な敵から地球圏を守りぬきましょう!
スーパーロボット大戦MX』バンプレスト。取り扱い説明書

    • 面単位では、ユニットを使い、勝利条件を満たすことがクリアのルール。
    • 様々な敵から地球圏を守り抜くのが最終条件。

 通常、「シュミレーション」としての性格から重要なのは、どのように駒を動かすかの戦術である。
スパロボ』においてはそうではない。もちろん動かし方もそれなりに重要だが、それ以上に重要なのはユニットそれ自体の強さである。
 ここで關係してくるのは、先ほど触れた「リアル」と「スーパー」の違いである。

 ユニットとパイロット。それぞれの数値が総合的な戦闘力になる。しかし、とくに重要なのは攻撃系のステータスもしくは、防御系のステータスである。
 シュミレーションパートの上では、主に防御方式に現れ、リアル系列は高回避、スーパー系列は硬装甲である場合が多い。
 武器レベルでみれば、リアルとスーパーの差は接近戦か砲兵かに分かれやすいが、接近形のほうが攻撃力が高い場合が多い。とはいえ、長射程型の兵装をもつ機体は万能型の機体であることが多く、また作品、ユニットごとにさまざまで一概に言えない。
 ただ、ユニットはそれぞれ作品や作品内での描がかれ方によってさまざまな特徴があるものの、いくつかのパターンに類別することができる。そうした分類のひとつとして「リアル」「スーパー」という区分があると理解したほうがいいかもしれない。この区分は、『スパロボ』の世界観やゲームシステム、あるいはプロットやイベントなどにも差異として現れる。

 また、「リアル」「スーパー」という分類のほかに、ユニットの総合的戦闘力という意味でのエースかBクラスかなどに分かれることがある。主にプレイヤー側の区分であるが、十数話ほどプレイしてみると、使用するユニットが固定されてくるだろうし、つまるところシュミレーションパートでの戦術認識として「使えるユニット」であるかどうかの違いのほうが、「リアルかスーパーか」といった要素よりも重要になるかもしれない。具体的にどのようなステータスが「使える」の基準はそれぞれだが、大攻撃力、高回避、高装甲、精神ポイントといった戦闘にかかわるステータスの総合によって決定されるケースが多い。
 具体的には機体ごとに設定された数値の偏りがこうした個性を生み出しているのだが、実際に「使える」と感じるのは機体と、それ以上に精神コマンドを使えるパイロットの存在が大きい。
 なにより、ユニットにパイロットがいることが、スパロボが想定する戦場への参加用件なのである。(乗り換えの問題については扱わない。)
 そして、世界観では「リアル」系列のものが採用されているものの、ゲームシステムにおける実際の戦闘は一対一のシステムを採用している。これは一対数百や一対5000億といった「対多数への強さ」の表現を得意とする作品には不利となるシステムであるともいえる。それらを補うシステムとして、マップ兵器(全作共通)や小隊システム(αシリーズ)があるものの、基本は一対一である。
 このシステムがなにを隠そう、ほぼ一話完結で一話一体のペースで戦い続けた「スーパー」系の物語構造に依拠していることはいうまでもない。そのおりに、どのように敵のHPを削るか、どのように削られるかのタイプが「リアル」と「スーパー」の差異であると言い換えてもいい。
 とはいえ、戦闘アニメをみながら、機体の挙動や台詞に「燃える」ことができるかどうかは、むしろプレイヤーの想像力によるかもしれない。しかし、その想像力の獲得をゲームの目的とはしない。

  • 8.ロボットの戦場とは何か。と、ちょっとしたまとめ。

 「武神装攻だと! 今度は何の略だ!?」 「もはや問答無用!」
 ORI GENE2より。迷場面。

 ユニット+パイロットの「駒」が動き回る戦場とは、「人間の身体」がむき出しでそこにあることを拒否しながらも、それでもなお「身体」が必要とされる場所とまとめてもいいだろう。ロボット兵器というものは、そこに、どのような形で存在しているのか。
 ここが、講演会と關連するもっとも重要な部分になると私は考える。

 ここでわたしは、こうした「ユニット」+「キャラクター」という要素を要請する戦場がどのようなものかを改めて考えてみたい。
 前述したが、スーパーロボット大戦が想定している戦争は一対一の数値のやり取りである。それはある意味では「プロレス」的な意味での敵と味方との共感をもつだろう。そこには言語による媒介が必要であると説明した。言い直せば、コミュニケーションの可能性に意義を見出す振る舞いだろう。
 それは、戦闘シーンにみえる、音声と音声のやりとりに端的に表されているかもしれない。
 ババラビビノブイとかいうAIや無言の敵機は、饒舌にしゃべる敵の「人間」とは明らかに相容れない性質をもっている。

  • 9.ロボット兵器の思索。

「でてこいドモン!決着は生身でつけようぞ。そう、今さらなんでメカに頼ろうものかー! 出ろ!貴様も武闘家なら、自分の体で戦ってみろォ!」(マスター)
Gガンダムより。ガンダムの存在意義をひっくり返す発言です。

 スパロボに登場する作品についてのスパロボ側の理解を中心にすえて解説してきた。
 ここで少し脇にそれるが、ではロボット兵器とはそもそもなんだろうか。
 ロボット兵器の祖形は、人型であることを除けば恐く戦車にあるだろう。機関銃とは「戦場の主役が人間ではないことを人間に教えてくれた」兵器である。(機関銃の社会史)戦車は、その機関銃の弾幕を突破する「鎧」であった。
 わたしは、ロボット兵器をこの「鎧」と「機関銃」の合間にある兵器であるという議論を提唱してみたい。
 たとえば、「機動戦士ガンダム」などをさして、人型兵器は「身体の延長」にあるという議論がある。「身体の延長」としての人型兵器という理論は、ロボットが人型であることや、中に入り操縦すること、アムロが「僕が誰よりもガンダムをうまく扱えるんだー!!」というような言葉を論拠として立てられている。ここでの鎧の身体性とは、マクルーハンのメディアは身体であるという議論や、武器や兵器の使用におけるハイデガーの「手元存在的」な物のありかたを想定している。
 しかし、本当にそうだろうか。私は「身体としての人型ロボット」という考え方は実は物語性を担保にしてのみ考えられるものだと思う。
 アムロに「僕が誰よりもガンダムをうまく扱える」という言葉を吐かせるのは、戦場における戦力として。「ガンダム」が必要となる戦場とは、前線のある戦場におけるロボット同士の戦闘という限定的な空間だ。しかし実際の歴史における現代と近代の戦争形態が教えたものとは、前線が存在しなくなり全世界のすべての場所が戦場になる可能性のほうだろう。第一次大戦にはじめて使われた「空襲」という響きはそれを教えてくれる。
 空襲において重要なのは、「飛行機」は身体かもしれないが「爆弾」は身体であるといえるのかという問題かもしれない。
 家ごと中の人間を吹き飛ばすのはガンダムではなくてその銃だけですむ。しかし、銃砲をあやつる技術が重要視されるのは、戦場が限定的な「ガンダムの戦場」であるからだ。これは、アムロやキラを主軸として表象するアニメの「視点」である。
 「ガンダム」は身体である必要はなく、むしろ機関砲であり機関砲を無力化する鎧として存在するといいたいのは、一歩アムロの視点から離れれば生身の「身体」に対する人型兵器の姿は、ただ、兵器であるだけで悲劇になる。中に乗る人を表象する必要はない。
 悲劇としての戦争をバックボーンにもつことによって、「リアルな戦争」を表現するはずの「リアル」な作品群においては操作の上手は問われない。それを積極的に問いかけるのは、戦場を転戦するという物語構造のほうだ。
 人型ロボット作れるんなら、人間中に入れるなよ。という意見が述べられるのもこの辺りの理由による。「よりよき兵器」は人型ロボットのほうではなく、砲や銃としてあればよい。思うに、人型ロボットとはむしろ「砲」や「銃」の延長であって、身体のように扱えることはロボットの性能を変えるかもしれないが、性質を変えはしないはずだ。

 にもかかわらず、「身体の延長」としての戦いに見たいものは、ガンダムガンダムの装備を峻別し、アームブランシュの崇拝にとどめようとする視点ではないか。武士道精神というか騎士道精神的なもの。あるいは、一九一九年まで根強い信仰があった栄光ある突撃への甘美さ。
 それは、非人格化する戦争に対する反抗という側面をもっているだろう。
 『機関銃の社会史』においてブライアン・ボンドの研究からこのような言葉が引用されている。

 馬やアーム・ブランシュの崇拝という現象を今にして思えば、戦争の非人格化を受け入れまいとする最後の、絶望的な抵抗だったと見ることもできる。

 スパロボは、こうした兵器への崇拝もまた、すべて引き受けたと考える。しかし、私はそれを咎めるものではない。重要なのは、この取り入れ方によって、非人格化する戦場から何を取り戻そうとしていたのかである。
 そんなもんいうまでもない。人間性だ。

 この主張をもっとも素直に表現してくれるのは「機動武闘伝Gガンダム」であろう。
 スパロボではαシリーズにこそでてこないものの、「第四次」以降ほぼレギュラーの座を勝ち得ている。
 その話は、冷酷な戦争を描くガンダムシリーズの中で異色である。ストーリーは強引で前半と後半がまったく別の話であるが、ぶっとんだ設定とか、ガンダムドラゴンボールをやろうとした心意気を評価したい。しかし意味不明の台詞がやたら多く、またやたら「熱い」展開が多い……のか? 一応人気が高い作品ではある。
 それまでのガンダムシリーズとの最大の差異は、「ガンダムファイト」にあった。これは「戦争によらない覇権の獲得をめざし、MS(モビルスーツガンダムのこと)による勝ち残り戦で国家の命運を決める」というぶっ飛んだ提案である。(だからこの作品が「スーパー」なのか「リアル」なのかよくわからないんだけど)。
 「機動戦士ガンダム」とは、それまでの勧善懲悪による子供向けのロボット物という作品製作を拒み独自路線を歩んだ作品である。
それが「Gガンダム」にいたって勧善懲悪に戻った、ということではなく、「戦争」に代わる別の手段を提案することによって「戦争」を執拗に描こうとしながらある種のバイアスを持ち込んでしまった「ガンダムシリーズ」と、「ガンダム」が漠然とやってしまっている兵器の神秘化に異議申し立てをしたと考えたい。
 言い換えるならこのGガンダムでは身体側の戦いに兵器としてのガンダムが入り込んでいるという、従来とは逆さの構造を持ち込んでいるのだ。
 この異議申し立ての世界では、兵器の位相はもはや戦争における決定打ではなく、また、戦場の身体として必要なものでもない。ガンダムは身体としては過剩で、いってしまえば余計な物なのだ。余計なものであるからこそ強さが発揮され、しかしその強さは身体の「戦場」には必要がない。「ガンダムファイト」という理念が吹っ飛んでいく過程をたどるのはいろーんな意味で難しいが、ガンダム同士が格闘する必要がなくなっていくからに他ならない。「ガンダムファイト」が問いかける類の強さとは、むしろ人間的なキャパシティの問題なのだ。
 この世界の人間はもうガンダム並に強い。その強さとは、身体の強さではなく、強さを要請する戦場に要求される強さそのものだ。

 「スーパー」系にいたってはいうまでもない。ぶっ倒れても強くなるおまじないでめっちゃ強くなる。
 この現象は「機械的限界」<「人間的精神力」という構図をあらわし、その連結、身体と鎧との連結の強さにおいてこそ、戦場における有用性を顕現させることができる。。

    • 「勝利の鍵は、勇気だーーーー!!」
    • 「まだまだあああ!!」
    • 「やああってやるぜぇ!」などなど。
  • 7、機関銃を乗り越えて。エンターテイメントの戦闘地平。


 1991年にスパロボの初作品が出された。
 『紺碧の艦隊』も90年代に話題をさらった作品で、時代的にはパラレルな關係にあるといえるだろう。
 もはや論述の時間は残されていないが、こんな言葉があったはずだ。思い出せないのと、資料がないのであいまいな感じ。

 「わすれてはいけませんよ。私たちは涙しなければならない。そうでなければ、私たちは人を殺すだけのロボットになってしまう」

  • 8、終りに。

 「バカばっか」
 機動戦艦ナデシコより。劇場版では主役に抜擢されたホシノ・ルリの口癖。
 しかし、テレビ版では数え切れないほどつぶやいたこの言葉も、劇場版ではついに一度もいわなかった。

 ということだが、ここで論者の意見を追加しよう。『スパロボ』を、僕は積極的に評価したい。
 歴史からの逃避、戦争の玩具化といえば、時代的にも思想的にもそうなのかもしれない。だが、歴史を形作ってきた戦争、機関銃と戦車と核兵器の現実に対抗する物語の声として『スーパーロボット大戦』はユニークな異議申し立てになりうるのではないか。
 それは戦場に残された、人間性の砦の物語として。機械化し自動化し、非人間化していく「戦場」の中にどうにかして人間性を取り戻そうという試みとして。
 スーパーロボット大戦で問われているのは「人間」ではなく「人間性」である。ニュータイプだかエイリアンだかナノマシン注入だか、とにかく人間としての身体条件を超えて戦場に赴くものに、それでも『スーパーロボット大戦』は「人間性」があると主張する。というか、まっとうな人間のほうが少ないぐらいだ。
 「人間性」の受容とは、一対一の戦いのあり方に現れるかもしれない。スパロボのプレイヤーたちは一対一の戦闘のシーンこそ、「熱い」と感じるのではないか。あるいは、イベントで繰り返される人々のドラマかもしれない。戦場とは思えないほど(てか戦場じゃないんだろうけど)繰り広げられる人々の「熱い」交流が。かくいう私も、戦闘でもイベントでも、画面いっぱいに溢れでるスパロボの「熱さ」、「熱くるしさ」に惹かれてやまない。

 むろん、これは可能性ではなく限界であるともいえるだろう。スパロボでは「被害者」が描かれることはない。全地球、全世界、全宇宙、全銀河に及ぶ大規模な戦場のなかで、スーパーロボット大戦が描くのはどのような形であれ「戦場」に参画できる力ある者たちだけだ。一方的に被災する被害者を描くことは基本的にない。これは、「昭和40年代の子供たちの夢」として構成され形成されてきたロボット物というカテゴリーの罪なのかもしれないが。それをどの作品が乗り越えたとか踏襲したという話は今回の勉強会の範囲を超える。

【参考】
 スパロボ作品一覽。
スパロボ」「第一次」「二次」「二次G」「三次」「EX」「四次」「F」「F完結編」「新スパロボ」「α」「二次α」「三次α」「COMPACT」「COMPACT2一部」「COMPACT2二部」「COMPACT2三部」「COMPACT3」「IMPACT」「A」「R」「D」「J」「ORI GENE」「ORI GENE2」「64」「GC」「MX」

【参考文献・HP】
『日本人の戦争観』吉田裕
『オリメカ進化論』HP.URL記述不
http://www.suparobo.jp/index.htmlスーパーロボット大戦 公式サイト [SRW]』

http://members.jcom.home.ne.jp/superrobot/db/srw.htmスーパーロボット大戦 データーベース』

*1:http://www.suparobo.jp/whats_srw/index.htmlスーパーロボット大戦 公式サイト SRW』

*2:まだXBOX360やPS2オリジェネはでてない。