ラブコメについて。第一話。

 気がついたら最近『とらドラ!』といい『ゼロの使い魔』といい、ようするにツンデレラブコメしか読んでいないというゴミッぷりだったんだけれども、いろいろと思うところがありまして、やはりラブコメは大事だなあと思ったわけです。
 ラブコメとはいわゆる恋愛喜劇というか、悲劇的なよそおいの薄い楽しい恋愛模様を描き出す笑える話しということで曖昧に定義してもいいだろう。もちろんそこにはある種の悲劇的な要素が盛り込まれてもかまわないわけだけれど、そこらへんはトーンというか全体を統括する記号的な雰囲気みたいなものでよろしく。あんまり喜劇/悲劇という対立は成り立たないような気がしてるんだけど、まぁそういうことにしましょう。
 面白いラブコメっていうのはだいたいヘテロであって、恋愛をする(というか主役の男役、女役が)心理的に相補的な関係にいるような気がする。
 つまり相手にかけている何かをお互いに持ち合わせているわけ。ただ「何がかけているのか」っていう点については読者以外に気がつかないように序盤をもってきて、語り手役の登場人物がお互いの「欠落」に気づくというところで愛が生まれるのがよいラブコメであるような気がするわけです。

 ラブコメが相補的だっていうものは、自分の欠落している感性がいったいなんなんのか、っていうのをどのように認識していくのかっていう問題だから、付き合う相手によって自分の「欠落」を相手の性格やら立場やら行動とかにどんな風にしてみるのか。
 ギャルゲーとかが双なのかしらと思うんだけど、主人公が「相手を理解する」シーンが普通のギャルゲーでは一つのなんというのかな、恋愛が発現するシーンだと思うのだけど、その解釈格子っていうのはどこにあるんだろうみたいな問題なんだよね。
 


らきすた』はラブコメではないと僕は考えてますが、いささかラブが入ってるなと思うそんな愛。