天然素材でゆかむ。

 『天然素材でいこう!』をid:manthanoは凶悪だというけれど、それはつまりリアルが充実しているというそういう意味における凶悪さをしめすのだろうか。その意味ではたしかに『さーくるcercle』はリアルが充実している男の子の話とも読めるかもしれない。しかし境君(あれだ、主人公の小金井さんの恋人だな)は「きらら系読者」の層とはいささか異なるタイプのキャラではないだろうか。それとも、きららを読む人たちはみんなあんな澄んだ瞳をしているのだろうか。境君の瞳はみたことないけれど。

 僕の周りにも「リア充」願望が強い人たちがたくさんいるが、おまえらじゃ彼女や彼氏ができたってすぐに別れるよと言ってやりたかった。何をどうしたらリアルが充実するというのだろうか。いっそもう旅にでたらいいんじゃないだろうか。自分探しブームも今思えばリア充思想の最初という感じがするけれど、自分探しは少なくとも修練としての要素があったからリア充思想よりも多少建設的だったような気がする。

  しかし僕が言いたいのはそういうことではない。リア充に対して、リア充をバカにするようなメタレベルの発言をすることではないのだ。リア充に俺もなりたい! (ポケモンマスターに、俺はなる!)的な宣言がしたいのだ。そこに何が必要か、それはポエジィであろう。あとノスタルジーね。
 
 話が飛ぶが、おとといあった人は「ノスタルジーに浸っていちゃだめなんだよ」を自説として、全てを「それはノスタルジーだ!」と否定していたんだけど、今思うとあれは否定だったのだろうか。全てがノスタルジーだ今は違うぜ! と言ってしまうと、蓄積はすべて放棄しなきゃいけなくなるので生産的じゃないし、ノスタルジーでも別にいいじゃないですか。というより、後からみたら全部ノスタルジーになっちゃうんだから一つ一つを否定していく必要性はないよね、みたいな。


 ところで「真理」ってないんですか? ねえ、どっかにあるんじゃないですか?タスポほんとむかつくわぁ。


 話を戻すけれど、リア充になるために僕は少し漫画を読むことにしました。今スパロボZをやっていて、「それでも、僕は戦う!」とか抜かしたアホがとっても自由なガンダムを使って敵を全滅させていました。ああ、自由ってすばらしい。そして相変わらず降格主人公は調子にのってヘタれていました。種死よ。
 あと、オーガスといいゴッドシグマといいマイナーな作品が増えた気がしなくはない。ガンダムにいたってはZと種からしか参加していないし、アクエリオンは最近知名度が跳ね上がったとはいえ、グラヴィオンはごく一部のコアなファンだけに人気、といってもよかろう。アニメーションの出来も全体的に地味になったかもしれませんね。


 それからなんと、熱血がないのだ。無いってことはないんだが、ほとんど誰も覚えない。まだ35話だからなのかもしれないが、バリアや切り払いやシールドの重要性が跳ね上がり、「直撃」が事実上の熱血となっている。しかしデストロイとサイコガンダムが一緒にでてくるのはどうよ?