敵性反応

昨日は遅くまで飲み会であったため、帰宅したのは午前二時過ぎであった。橋本駅から歩いたため、へろへろであった。行きにきららを買ったりあれこれしたりしていたせいか、どうも体調が悪い

で起きたらなんでかしらんが、もう十二時じゃないですか。あれこれしようとしなけりゃならないのに、午後だってだけで多きくやる気をそがれるのは仕様なのでしょうか。ああもう。


それはともかく、<三中信宏系統樹思考の世界――すべてはツリーとともに』isbn:4061498495>をうだうだ読んでいるうちはこれはものっすごい本ではないか、あるいは系統樹っていうのは超絶すげえんじゃないかと思えた。系統樹を形成できるものなら全部に自然選択が働くんだよーってことなんだと思うんだけど、この自然選択っていうのには人為的な所業ってのも入るのかしら。
 問題はどうやって系統樹をつくるかなんだけど、これがよくわからない。客観的な根拠がひつようなのか、あるいは想像的な関係性でかまわないのかしら。文学史って系統樹だよなーってことをうだうだ思って帰宅。
でもあまりいい本じゃないという噂も聞く。あとデネットはやっぱり翻訳が最悪らしい。読みたいけど、英語できねーしなぁ。

とりあえず三時ぐらいまで15日の勉強会のレジュメをきることにして、四時まではロシア語をやろうと思ってるけど、そううまくいかないのがこの世界の美しいところだって俺はちょっと知ってる。

それにしても、今週の『ひだまりスケッチ』は出色のできだったと思う。最初に雪原に寝てるゆのが、時計を探して時計は氷に沈んでる。みやこがやってくると、雪の白い世界に赤い破片がばぁ! っと広がる演出。赤い亀裂が雪だるまを貫いている。

寒いってゆのがいうと、寒くてくらいんだけど、安心してる雪の中で寝てるゆのは、雪が崩落を起こして落っこちてしまう。
そこから夢の話がずっと続くんだけど、夢の意味不明だけど現実感にあふれた感じがとってもよかったし、キャラクターに奥行きをあたえるのが、語尾とか、モダリティなら、深みを与えるのはやはりそのキャラクターの欲望というのか、告白では表現できない類の内面、夢とか幻覚の中でみるそのキャラの世界なんだななって思った。よくわからんな文章わるすぎ。
つまり、「自分で知ってるところ、みんなが知ってるところ」だけじゃなくて「自分が知らなくて、みんなが知らない」部分があるといいぜってことかもしれない。

まぁ、俺はこれではげしくもえたからいいんだよもう。