十一時からの戦争。
日記の名前。
日記の名前を変えました。
混迷供覧 → たたさんのっ!
ですね。かわいくなりましたね。ええ。かわいくなったんです。その愛らしさに天空の鷲は保護を約束し、地底の死者は涙を流すでありましょう。
まぁ、そろそろ気分転換ってのも必要かなと思ったわけれすよ。
GW伝説。
GWに突撃だああ!!
でも予定がない罠。寂しくヒトリでわふわふしてます。だって誰も誘ってくれないし、俺は家が遠くて誘えNEEEEEEEEE!! んだもん。
誰か一緒に下北に行きませんか?TT
俺の服を選んでくれたり、
すてきな小物をながめたり*1
意外なお店を発見したり、したいです・・わ。
昨日は早稲田ユネスコの勉強会で、出席しようか迷ったけど結局出席しました。タイトルは「戦争論」。レジューム自体はともかく、議論は盛んに行われた。元自衛隊員が参戦、趙子龍が法学部のそこ意地を見せて圧倒。
考えてみれば人文の奴らや現代思想のかたがたが「国民」とか「国民国家」とかっていうのは、基本的に脳内定義に過ぎないんだよね。だから法学的にどう定位されているのかって話しになると「主権! 主権!」とか「イデオロギーイデオロギー!」とかサワイデルCSのハオっぽさがもろに出てしまうわけですか。
ベネディクトアンダーソンはもっと読む必要を感じたし、人文学はもっと知的に誠実であるべきだと思った。bさんとの話でもあったのだけれど、知識はスタンダードな領域をもつべきなんだろう。人文学の授業はえてして教授の趣味で構築されるケースがままあるが、何を教え何を教養として出発するかを定義しないと、研究が蓄積していかないし、蓄積を教育することもできない。学校の教科書が50年間方針転換してない理由はまさにそこで「そんな研究してない」からなんだろう。何を教えて何を知っておくべきかのアーキテクチャはもっとちゃんと作らなくちゃ。その上に知識を構築していくのは個々人の仕事なんだろうけれど。
ヤスジイとの戦い
と同時にヤスジイとの戦いおよび神楽坂まで書道用具を買いにいくというどきどきイベントも行われた。
神楽坂は本当にいい町ですね。
ヤスジィのところは別の方の卒論の要約発表。半分は御伽草子の紹介で、もう半分はあらすじの要約だったが、まぁ初めてならばこんなものでしょう。
下克上についてあれこれ話すも、取り上げたい題材がよくわからないというような難癖をつける。はぁ、えぇ、まぁ、と答えられた。
ヤスジイは途中で逃げた。
戻ってきたヤスジイの手には「大黒舞」という御伽草子のいっぺんの絵巻が握られており、そこでは大黒と恵比寿がある日とある武家屋敷に降臨し、もてなされていた。二人は相撲を取ったり酒を飲んだりして暮らしていたが、黒雲に乗って招来された盗賊の群れに七福神が団結して立ち向かいみごとに追い払うというすばらしいラノベが展開されていたのである。*2さすが室町時代だ……。現代のラノベ研究なんかよりずっと面白そうだと思う。
それからちょっと情報工学のハナシをする。HTMLについて。まったく理解されず、ややへこむ。
今日の予定
- 本棚の掃除
- 読書
- レジュメつくり
- 中学校の教材を研究。
- 睡眠
- しかるのち読書
- ゲーム
午後。
- 掃除の不可能性について思索